2009-11

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映画レビュー×3/ハーモニー・コリン『ミスター・ロンリー』、ダニエル・シュミット『デジャヴュ』、ルイ・マル『さよなら子供たち』

『ミスター・ロンリー』
監督:ハーモニー・コリン
脚本:ハーモニー・コリン、アヴィ・コーリン
撮影:マルセル・ザイスキンド
音楽: ジェイソン・スペースマン、ザ・サン・シティ・ガールズ
出演: ディエゴ・ルナ、サマンサ・モートン、ドニ・ラヴァン、ヴェルナー・ヘルツォーク 、レオス・カラックス
製作国(年):イギリス、フランス(2007)

ロンリー

ハーモニー・コリン、彼は一体どこの国の人間なのだろう。
「アメリカ的な」ものとはかけ離れた映画を撮りながらも、
マイケル・ジャクソンとマリリン・モンローという、非常にアメリカの象徴性が強いとさえいえるような人物を題材に扱っている。
自身の国アメリカと、ドイツ(ヴェルナー・ヘルツォーク)、フランス(レオス・カラックス)という3つの国を横断するハーモニー・コリンにとって、
「国境」という概念はもはや存在しないのかもしれない。

映像の質は、同じくアメリカ出身のガス・ヴァン・サントに引けを足らない位に色彩の鮮度が高い。
まるで赤や黄色や青が、それぞれの存在を独立に主張しているかのように、際高く色めいている。

ドニ・ラヴァン、チャップリンを演じた彼は間違いなく、ヨーロッパ大陸が生んだ怪優である。
先刻『TOKYO!』で演じたメルド同様、彼の姿はどこからどう眺めても、人類の存亡を脅かす破滅的な怪物にしか見えない。

スコットランドの古城で踊り狂う、他者になりきることでしか生存の意味を見出すことのできない「物真似芸人」たちは、二重の意味で虚構を演じている。
彼らは一人の俳優として「役柄」を演じている。
しかしその「役柄」もまた、アメリカの歴史上人物という奇怪なキャラクターを、他者の写し絵として二重に模倣しているのだ。
まるでそれぞれが抱える孤独を見て見ぬ振りするかのごとく、彼らは虚構に虚構を上塗りする形で、ひたすらにそれぞれの欺瞞を覆い隠している。



『デ・ジャ・ヴュ』
監督:ダニエル・シュミット
脚本:マルタン・シュテール、ダニエル・シュミット
撮影:レナード・ペルタ
音楽:ピノ・ドナジオ
出演:ヴィットリオ・メッゾジョルノ、ミシェル・ヴォワタ
製作国(年):スイス、フランス(1987)

デジャヴュ

ダニエル・シュミット作品初見。スイス映画というのも初めて。
新宿ツタヤで、丁度4階の階段を上がりきった所目の前の棚に陳列されている。
『ヘカテ』や『ラ・パロマ』で、「デカダン派作家」と呼称されているらしい。
本『デ・ジャ・ヴュ』は、非常に幻想的な映画で、現実世界と夢幻世界の映像が、全く違和感なく移行し合い融合している。
その地続きの「違和感のなさ」は、まるで黒沢清の、「亡霊がそっと佇む生活世界」そのもの。
主人公であるジャーナリストを襲う“イェナチュ”の影は、“われわれ”にも見えている。
その、共犯的関係。
過去の歴史を追う彼は、しかし過去の亡霊によって追われ、己が歴史と化してしまう、その、逆説的背反。
撮影は『さよなら子供たち』と同じくレナード・ペルタ。




『さよなら子供たち』
監督 、製作、脚本:ルイ・マル
撮影:レナート・ベルタ
音楽:フランツ・シューベルト、カミーユ・サン・サーンス
出演:ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト
製作国(年):フランス、西ドイツ(1988)

さよなら

ルイ・マルの映画はいつも唐突な場面から始まる。
まるで映画の外で、われわれが観ていない間で、それ以前になおも映画が続いていたかのように、間断されたフィルムとして上映が始まる。
非常にヨーロッパ、殊にローマ・カトリック教特有の匂いが充満した映画で、
それはルイ・マル自身の「記憶」の「再現」によるリアリズムがそうさせているのだと類推されるが、
やはり私は、映画の中で日常的に催行されていた寄宿学校での「告解」制度について、どうしても理解に窮してしまう。
当人の意思とは無関係に、「秘密」のまま留めておきたいはずの言葉を、何故「懺悔」という形で吐露する必要があるのか私には中々理解することが出来ない。
いかにも寒そうな灰色の空と黒い外套、
レナード・ベルタの油絵のようにベタついた映像が特徴的。



(補足)僕はこのルイ・マル映画を、今年に入ってからすでに4,5本観ているけど、ではなぜ自分がこれほどまでに彼の作った映像に惹かれるのかといえば、やっぱりそこには彼が作る映像特有の「叙情性」にあるんじゃなかろうかと思っている。例えば『鬼火』では、どうしようもない位主演のモーリス・ロネが、死の観念に取り憑かれた孤独な男に写っていたり、『死刑台のエレベーター』ではやはり主演女優のジャンヌ・モローが、果てしなく倦怠感に包まれていたりと、しかもそれぞれが、パリの街中をただ彷徨して歩きさまよっているという(『恋人たち』でも、やはり同様に主演の2人が豪邸裏の湖畔を歩き回る)、ただそれだけの映像を写し取っているだけで、2人の情緒がこれでもかといわんばかりに画面中から溢れ出ているのである。それはもしかしたらモーリス・ロネと、ジャンヌ・モローの役者としての存在感(特にジャンヌ・モロー、その「倦怠」の象徴は唇と、そしてその垂れ下った「眼」にあるような気がしてならない)と、2つの映画背景に流れるエリック・サティとマイルス・デイヴィスの響きによる影響もあるのかもしれないけれど、やっぱりそれらを総合して、僕はルイ・マルという監督の感性だったり叙情性を引き出す力量による所以が大きいのだと思う。

テーマ:洋画 - ジャンル:映画

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Author:  ゴモラ
ゴモラです。
生物学的性別は男性、性自認も男性、性的指向も男性です。セクシャルマイノリティ、世間一般でいうところのゲイです。
昨年の3月に千葉の大学を卒業しました。現在はクレジットカード会社に勤務しています。
とりあえず当面の目標は、確実な進路先を見つけることでしょうか。

 

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